平成29年8月31日。
早朝の携帯電話の呼び出しで目覚めました。
母・繁子からの電話でした。
父・矩夫が、実家のベッドから、母・繁子に左足が動かないので起こしてほしい
というチャイムがあり、母・繁子と姉・真子が部屋に向かいました。
助けようとしましたが、抱きかかえることもできず救急車を呼びました。
奈良県総合医療センターに搬送された時には、意識がなく昏睡状態に
なっていました。
私と育子・泰嗣の3人で、富田林から電車に飛び乗り、病院に駆けつけましたが、
脳出血で、手術をしても植物人間になるだけなので、なにもしない方が本人の為だと医者に言われました。
しかし、短時間では受け入れることが出来ませんでした。
午後1時13分、父は帰らぬ人となりました。
父の最後は、苦しまず眠るように逝ったことが、少しの救いでした。
妹・礼子も子供たちと一度は家に戻ろうとしていましたが、父が急変した為
病院に戻ってきました。
悲しい現実に立ち会わなければならないことが辛かったと思います。
母・私・そして姉妹・孫たち。
それぞれの父へのありがとうという気持ちがあると思います。
私は、お通夜・お葬式と喪主を務めましたが、いくら良い挨拶をしても、
いくら父の代わりをしてみても、時間だけが過ぎていく虚しさを感じた1週間
でした。
最後に、父が生前お世話になりました学生時代からのご友人、
土地家屋調査士の先生並びにたくさんの方々に感謝いたしております。
ありがとうございました。   平成29年9月8日  喪主長男 岩 貴之